2012年09月19日

今日は

今日は父の3回目の命日です。

息子は父の家にある手作りの池にいるメダカをとても熱心に見ていたことを思い出します。

父が「また、見に来てね」と言ったこと。

息子がうれしそうに、「うん、また来るよ」といったことを思い出します。


息子と父が会ったのはそれが、最後でした。

父は3年前に突然亡くなりました。


夜中の3時くらいに、病院から電話がありました。

着いたときには、心臓が止まっていました。

そして、再び、心臓は動くことなく、そのまま逝きました。

あのとき、握った手にはぬくもりがありました。


お通夜、葬式という時間の経過のなか、冷たくなり、固くなっていくのです。

そのときに、死を実感しました。


父の財布の中には、私と息子と姪の4人の写真が大切にとってありました。

孫二人に囲まれた会心の笑顔です。


父の表情を思い出すときに、その笑顔が脳裏に飛び込んできます。

笑顔の思い出をくれた父に感謝するとともに、
孫にあまり、会わせてあげることができなかったという、少しの切なさがあります。


今は、離婚をしたことについての後悔はありません。

いろいろなことを徐々に受け入れるようになり、時とともに自分が変わっていったのがわかります。

これからも、いろいろあると思います。

自分の人生にチャレンジしていきます。

そして、かっこいい男になりたいと思っています。

私が考えるかっこいい男というのは、感情としては「息子にかっこいいと思ってもらえる男です。」

ただし、息子が「かっこいい」と思うかどうかは、息子の主観なのでわかりません。


だから、こんなことを考えています。

決断力・知識・知恵・経験・自信を磨いていいきます。

いろいろなことにチャレンジし続けます。

当然、今以上に収入をアップして、いつでも息子を援助できるようになります。


今考えている、「かっこいい」をこのようなものです。


いいことがあったり、悪いことがあったりします。

いいことも悪いことも、すべて自分の成長の糧となるのではないかと、考えることができるようになってきました。

少しずつ、あるいは急激に、変わることができると感じています。

今は、離婚した当時より、良くなっていると実感します。

そして、「かっこいい」を目指して人生にチャレンジしていきます。










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2008年04月07日

うつ病

うつ病

自分だけの努力ではどうにもならない病気の状態を指す総称です。医学的には、どうしても気分が沈みがちになってしまう感情や思考の異常な状態に加えて、それと同時に自律神経症状を主体とした身体症状が現れることを指します。原因・理由が不明瞭な場合は内因性うつ病、環境によるストレスなどの心理的要因によって引き起こされるものは心因性うつ病(または反応性うつ病)、体の病気・怪我などが原因となって二次的に発病する場合は身体因性うつ病と呼びます。また、うつ病とは逆に異常なほどの感情の高揚や高ぶりなどが起きることを躁(そう)病と言い、気分の抑揚を交互に繰り返すことを躁うつ病と言います。

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2006年05月26日

うつ病について

うつ病。
私はそういった病気にかかる人間だと自分のことを思っていませんでした。

私は強い人間だと思っていました。

ただし、この病気に気付く前、1年半くらいの間
私は生きていていいのだろうか。そのような思いを持っていました。

以前にも話しましたが、息子の妊娠中、私は義母から
あなたの子供なんて必要ない。私の娘を返せと言われました。

義母は躁鬱病で、病気が言わせたということですが。。。

本当にそうなのかとも思っていますが。。。

こういった病気は個人差があります。

私は、うつ病の診断を受けた時、
病気のことで妻に対して悪いなと思い自分を責めてばかりました。
決して義母のように他人のせいにはしませんでした。


義母は自分の主人のことを私にいつも文句を言っていました。
「本当は離婚したかったけど子供とはなれるのが嫌で離婚できなかった」
こんな内容です。

義母の話を聞くたびに、
私も将来こういうふうに言われのかなぁなどと思っていました。

そして、義母にこういったことを言われたときに
私は仲の良い母親と娘を引き離した責任は重いと感じていました。
結婚し太事に関して、妻に負い目を持つようになりました。

しかし、今はこのことに関してはすっかり割り切っています。

結婚をしたのも、お互いの判断で、
どちらか一方のせいではないと思ってます。

だから、病気も治ったのだと思います。

結婚生活においては、私の出身地に住んでいることに対して妻にいつも
申し訳ないと思っていました。
というよりも申し訳ないと思わされていたのです。

私は遠距離恋愛でした。
結婚をするときも、慎重にことを運んだつもりです。
妻が親元から離れて、暮らすことは難しいと思っていましたから、
そのことについて、何度も妻に確認をしました。

妻は、大丈夫だと言っていました。

そのことをすべて信じた訳ではありませんが、
一生懸命フォローしていこうと思っていました。

妻は、結婚前にこんなことを言ってくれました。

私は、場所より、人を選ぶ。

そのことを当時は、嬉しく思っていました。
ですが、多分、このことが、私が病気になる一因だったのだと思います。

その後、私は、たまに妻にこんなことを言うようになりました。

「俺を場所と比べないでくれ」

このことは、結婚生活において、いつもプレッシャーに感じていました。
タグ:うつ

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2006年04月30日

うつ病 治って変わったこと

うつ病も治ってしまえばいい経験です。

今日、友人から相談のрェきた。
彼は躁鬱病で苦しんでいる。現在、傷病手当をもらっている。
子供2人に奥さんの4人家族

「相談があるんだ」
「どうしたの」
「5月で傷病手当がきれるんだ。。。。
そのあと、雇用保険で何とかしようと思うんだけど。。。
待機期間が3ヶ月。。。その間どうしようかと。。。
いい方法ないかな。。。」

友人はもう、5年もこの病気とたたかっている。

よくなったり、わるくなったり。。。
いつの間にか子供も6年生になった。

ここ1年よく、рュれるようになった。

私に話すと気が楽になるらしい。

話の聞き方が変わったらしい←友人が言ってた。

苦しんでいることを少し共感しながら聞けるようになったのかな。
友人の話を素直に聞けるようになったみたいだ。

そのときは、こんなふうに思っている。

あっ、俺もそうだった、うん、うん、わかるなあ〜
今のわからないかったけど、どういうことなのかな〜

そして、言葉が出る。
「あっ、それわかるなあ〜」
「それ、よくわからなかったけど、。。。こういう感じ」
友人
「そう、そう、。。。こうだよ」
「ちがうよ。。。こういうこと」


「ああ、そうなんだ」

たいした、アドバイスはできないのだけど。

友人
「ああ、話して気が楽になったよ」

「よかったね」

友人
「うん、じゃあ、またね」
気がつけば40分くらいたっていた。

今までは、励ましていたと思う。
でも、自分が病気のときは励まされるとつらかったんだ。
自分は駄目な奴なんて、思ったり、悲観的になったり。

そっとして欲しいとき。
なんか少し聞いて欲しいとき。

感情の揺れが。。。
病気が治る過程でたくさんあったかな。

友人の話を聞けるようになったことで
うつに苦しんだのも悪くなかったなあ

そんなふうに今は思うのです。


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うつ病そのときの思い3

現実は厳しく、よわくなった時に、次から次へと追い詰める。

問答無用である。

11月25日(火)

○恵ちゃんからメールがきた。診断書が2通必要だということだ。

何故必要かメールで返信したが返事はまだない。

少し心配だ。○太にまた会えるのだろうか?何故かいやな予感がする。

返信を明日まで待つことにしよう。明日返信がなかったら連絡しよう。

待ちきれずにрオたところ保育園の申込のために必要だということであった。

○恵ちゃんは完全にこちらに戻ってくるつもりはないということがはっきりした。

○藤さんに源泉徴収もたのんでいるそうだ。

また引越しのとき○太をこちらに預けることもしないという。

引越しが終わったらこちらに話にくるということだ。

○太に変わってくれといったら電話を切られた。

私の母と話してないのかと言っていた。

母に確認したところ別れるとかそういう話とは別に

お互いの健康状態を考えて大泉に行ったらいいのではという話であった。

その後もう一度рしたらお父さんが出てきてこちらには預けられないといった。

また引越しもあてにしていたのにと言われて話をそらされた。

○太を出してくれと言ったら今遅いけれど少しならということで○太を出した。

○太は家に帰りたいおじいちゃんもおばあちゃんも嫌いだと言っていた。

そんな話をしていたらр切られた。

その後母が○恵ちゃんの携帯にрオて遅くてもいいから

連絡をくれとの伝言したがрヘかかってこなかった。

完全に裏切られた。とても悔しい。

その後母と3時まで話をした。

まずは私が健康を回復しなければ話にならない、

○太のお父さんはお前だけだからと一生懸命話をしてくれた。

本当にありがたかった。私は健康を取り戻しどんなことでもすると誓った。

思わず泣いてしまったが、涙もこれで最後にしよう。


私は健康を取り戻し堂々と○太に会いにいこう。

一切の引け目も感じることなく堂々と会いに行ってやる。

○太は東京の家に預けているのだ。

私が病気で大変だから預けているということにしよう。

そう考えれば仕事にも打ち込めるし感謝もできる。母がそう話してくれた。

お母さん本当にありがとう。私は再起することを誓う。

何故ならここでくよくよしても仕方がないからだ。

いつでも私は宏太の父親なのだ。いざというときに頼れる父親になろう。


タグ:うつ病

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posted by 利之 at 18:26 | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うつ病 そのときの思い2

悲しみがおそってくる。寂しさがこみ上げてくる。

そんな日々であった。

11月20日(木)

12時に起床

○太君のザリガニの水槽を掃除した。着替えをもって母の家へ移動した。

○恵ちゃんから○太の写メールがきた。○太の顔をみてほっとした。

11月21日(金)

○太とрナ話をした。

お父ちゃんこっちに来てよ、と何回も言っていた。

涙が出そうになった。

11月22日(土)

図書館に行って本を返却した。

ビデオを借りてきた。明日見ようと思っている。

11月23日(日)

家に歩いていった。ちょうどよい散歩になった。

○恵ちゃんからはがきが届いていた。

読んでいて少し悲しかった。

もう○太に会えないような気がした。

11月24日(月)

今日も家まで散歩した。夜は映画を見た。

何もしないで一日が過ぎていく。何故か悲しくなってしまう。



現実は厳しく、よわくなった時に、次から次へと追い詰める。

問答無用である


タグ:うつ病

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posted by 利之 at 18:20 | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うつ病 そのときの思い1

私は不安な日々を送っていた。うつ病という自覚はあまりなかった。

しかし、常に悲しかった。病気であっても厳しい現実はせまってきた。

これはそのときの心境です。


11月19日(水)


今日から日記を始めます。


○山医院に通うようになり約ひと月が過ぎた。

今日は悲しい1日だった。

○恵ちゃん、○太君が○○に帰りました。

朝、○太君と自転車で遊んだ。

元気に走り回る○太君をみて泣きそうになった。

これからは別々に住まなくてはいけないからだ。

アピタに三人で行き宏太のおもちゃをかった。とても喜んでいた。


○恵ちゃんと○太君を送り出す。


○太はおとうちゃんも一緒に行こうと泣く、思わず泣きそうになった。

家に帰ると○恵ちゃん、○太がいない喪失感でいっぱいになった。

ここで暮らして5年たつ、思い出がいっぱいある。

○恵ちゃん、○太君にはいつでも会えるとは思うが

一緒に暮らせないのはやはりつらい今日一日で何回も泣いてしまった。

それでも僕は○太君のお父さんだ。絶対に立ち直るのだ。

病気を治そうと思う。


○恵ちゃん、○太君ごめんなさい。
こんなふうに思っていた。

悲しみがおそってくる。寂しさがこみ上げてくる。

そんな日々であった。



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posted by 利之 at 18:16 | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

傷病手当

傷病手当という制度を知っていますか。
社会保険の制度です。

医師からの診断をうけ、会社を1ヶ月休むことになりました。
最初は有休休暇を使いました。
なんか、とても身体がだるく、
子供と一緒に居ても思うように身体が動きませんでした。

息子は私が一緒に居るのがうれしいらしく、喜んでいましたよ。

このときの息子の口癖

お父ちゃん会社行かないほうがいい

医師からは処方を受けた薬は2種類でした。
薬を飲んでいれば、良くなるからと言われていました。

薬を飲みだしてからは1週間ほどは身体が重く
それでいて目が回るような不思議な感覚でした。

妻はそのときはいろいろ出かけていて
私は昼間は子供とふたりで過ごしていました。
ただ、一緒に居るだけでとても心が落ち着きました。

しかし、1ヶ月たっても、全然良くならないんです。
このときは病気のことを良く知らなかったんです。
風邪が治るように、薬を飲んでいれば
あるとき、目の前が開けるように
パッと良くなるものだと考えていたのです。

有給休暇も残りわずか

不安 焦燥 

そんな時、この傷病手当というものがあることを知りました。
会社を休職し傷病手当をもらう生活が始まったのです。

安心してください。

病気で働けなくなっても、この制度を使えば
十分生活できる手当てをもらえますよ。

1年半もらえるらしいです。
私の場合、8ヶ月ほどもらいました。

健康なときには気づかなかったけど

社会保険っていい制度なんですよね。


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タグ:うつ病

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posted by 利之 at 17:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うつ病

うつ病

抑鬱気分・悲哀・絶望感・不安・焦燥・苦悶などがあり

体調がすぐれず、しばしば自殺企図を抱くなどの

症状を呈する精神の病気。原因不明。


きっかけは私のうつ病による受診だったのかもしれない

健康には自信があったし、健康であると思っていた。

ただ疲れているだけだと思っていた。

家に帰るといつも子供がお父ちゃんと玄関まで飛んでくる。

子供と抱っこし、遊び、子供と一緒に布団に入り、

お話をして寝かしつける。

それが日常であった。

身体がだるい、風邪ひいた、会社を休む、それがきっかけだった。

2日たっても3日たっても身体がだるい。

それでも、子供とはただ一緒に居ることができた。

会社へ行けない、行くのが怖い。

1週間が過ぎ、2週間がすぎた。

妻が私の異変に気づく、神経科への受診

うつ病

医師は1ヶ月会社を休むように、私と妻に告げた。


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posted by 利之 at 17:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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