2006年05月19日

離婚調停3回目

離婚調停の3回目である。

弁護士と待合室で待ち合わせた。

今日で3回目、そして、多分、今日方向性が決まる。

緊張していた。展開が変わるかもしれない、などという気持ちもあった。
どうしても自分の都合のいい方向へ思考が向いてしまう。
こんな時は、少し楽観的に物を考えないと、気持ちが崩れてしまう。

呼び出しが来て部屋に向かう。

今回は相手方からであった。

調停員「やはり○子さんの決意は、固いですね。親権を渡すのであれば、
    慰謝料、養育費はいらないと言っています。あなたのほうはどうなんですか」

私  「私も親権は譲れません。」
調停員「そうなると、二人の言っていることが全く正反対ですから
    何回やっても一緒ですよね。どうしますか。」

このとき調停員は困ったようであった。あまりにも私と妻の言っていることが違い
判断でないようであった。

多分、調停員は接点もなく、長引くのか嫌だったのだと思う。
そんな感じであった。少し間があいて。。

弁護士「本人とも話したのですが、このまま長引かせても仕方がないので、
    この調停は不調をということで、本訴でやりたいと思います。」

調停員「そうですか。それでは、○子さんにもそう伝えてみます。」

調停員は少しホッとしているようであった。

面倒くさい案件から、解放されるといったところなのだろうか。。。

部屋を出て、再び待合室で待つ。

呼び出しが来た。

再び部屋へ。

調停員「○子さんも同意しました。」



そして、今度は、裁判所の別室に行き、

夫婦関係調整調停事件の不成立ということで、調停は終わった。

この部屋で、初めて妻と、顔を合わせた。

こ軽く会釈をしたが相手は顔も合わさないといった感じだった。

別室で着席をして、書類にサインをした。

最後は、裁判所の人間の立ち会いのもと、
不成立ということでこの調停は成立しした。ということを確認して終わるらしい。

「夫婦関係調整事件は不成立等ことで成立しました。」

この言葉で私たちの離婚調停は終了した。

あっけない終了だった。

こんなものなのか。。。という感じだった。

離婚調停って、調停委員って。。。

そして、いよいよ裁判、訴訟という展開になっていきます。

次回からは調停をした体験をもとに離婚調停に望むにあたり、

どのようなことが大切かを私なりに書いていきたいと思います。
タグ:離婚調停

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2006年05月17日

離婚調停 2回目が終わって その2

離婚調停の2回目が終わりいよいよ私は決意をした。

次回の調停で、もう一度、親権を主張する。

そして、相手方が納得しないのであれば、訴訟も仕方がない。

このときの心境は息子のためにやるだけのことをやろうということであった。

相手方はは、私と息子会わせないということは明確である。

仮に訴訟をした場合、親権が取れなくても、証拠は残ると思った。

どんな証拠かというとお父さんが宏太を愛していたという証拠だ。


判例によると、男性が親権を取れることは稀である。

ほとんど事例がない。90%は女性である。

そのことは分かっていたが、できるだけのことはやろうと思った。

仮に面接交渉を認めるということを相手が言ってきたとしても

すぐに色々と理由をつけて会わせなくることはできるのだ。

実際色々調べてみると、そういうケースはたくさんあった。

結果が同じであれば、証拠を残しておけば、

息子がもしかして将来事情を知りたいと思ったときに、
教えてあげることができると思った。

もっとも、このまま息子が、お父さんに捨てられた。と思うかもしれないのだが。。。

しかし、悔いを残すよりは、たとえ費用がかかったとしても、できるだけのことはしようと思った。

この決意をするまでに、眠れない日が続いた。

なんで。。。なんで。。。こんなことになってしまったのだろう。

そんな思いであった。このころから私は、ベットで寝ることができなくなってしまった。

息子が来た時に一緒に寝て、本をたくさん読んだり、お話をしたベットだ。

どうしても息子への思いが、溢れてきて、つらかった。

それから、裁判が終わるまで、私は、ソファーで寝ていた。

痛みを忘れてはいけないと、思ったのです。

そして、この決意を弁護士に告げた。

3回目の離婚調停を迎えることになる。


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2006年05月16日

離婚調停の2回目が終わって

離婚調停の2回目が終わり、いよいよ、夫婦の接点がないことがはっきりした。

弁護士とも相談し最終的な方向性を決めなければいけなかった。

調停をこのまま続けていくのか。
続けていくとしたらどういうところで折り合うのか。

このままお互いが親権を要求していたら話しは平行線である。
何度も何度も話した上で振り出しに戻る。
私が親権を渡すことに同意すれば別ではあるが。。。


正直、私は自分が冷静だと思っていた。。。

今振り返ると、この時はやはり、冷静ではなかったと思う。




相手方が調停を起こす前に義父から電話が来た。
無条件で離婚届にハンを押せということだった。
更に、こんなことも言っていた。
「こちらは弁護士を二人用意している。この間は一人と言ったが、二人なんだ。
あんたのことはすべて調べている。なめるんじゃないぞ。」


そして、今回の調停では1100万円という慰謝料を要求してきた。
子供に会わなければ、親権を渡せば、慰謝料は要らないということであった。

私は慰謝料を要求されるようなことはしていない。

私がうつ病にかかったことが悪いのであれば、義母はとそううつ病ではないか。

しかも、20年来の。。

このことは結婚の時知らされていなかった。
体が弱いということだけ聞いていたのだ。
だからこそ、結婚してから、そして子供が生まれてからも
妻が毎月2週間くらい実家に戻る事を了承していたし、協力してきた。
義姉夫婦よりも何倍も協力したきた。

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私が休みの日には妻に休んでもらい、いつも息子と二人で過ごしていた。

6カ月から1歳ぐらいまでの間、毎晩夜泣きをしていた息子を
夜中に1時間も2時間も抱っこしていたのは私ではないか。

休みの日に日帰り温泉に行く時も0歳の時から息子は私と入っていた。
それもこれも妻の育児疲れを解消するためだ。


男風呂で赤ちゃんを入れているのは私だけであった。
でも、これはとても楽しい楽しい思い出だ。


家庭を顧みなかったなどと言われる理由も私には納得できなかった。



まして、妻のの妊娠中、つわりで苦しむ娘を見て義母は私に子供をおろして
離婚して娘を返せとまでいったのに。。。

義母「あなたの子供なんか、どうでもいい私は娘が大事だ。。。」
(病気が言わせたとうことだか。。。義父には黙っていた。。妻から頼まれたのだ)

このとき私は義母の意見に同意してしまった。。。


しかし、妻と話し合い、息子は無事に生まれてきた。
妻は生みたいと言ってくれたのだ。うれしかったし感謝している。


夜中息子を抱っこしている時に、いつも、このことを思い出した。
こんないい子を。。。あのとき。。。ごめんね。。。

だから1時間でも2時間でも息子を抱いていられた。
小さい軽い赤ちゃんでもずっと抱っこしていると腕がしびれ麻痺してくる。

でも段々強くなってきて長時間抱っこしていられるようになるのだ。

息子を抱っこして寝かせていたのはずっと私であった。

妻はこの子は抱っこしても寝ない子なのよと言っていた。

たまにはおんぶしてあげたらと言うと

「おんぶ紐がおっぱいに当たって痛いのよ、あなたは男だからわからないのよ」

と言っていた。


でも息子は抱っこされるのが好きだった。

3歳になっても抱っこを私にせがんでいた。

「お父ちゃん、ネンネちゃんしてよ。」

抱っこして歌います、子供の時からの子守唄を

「こうちゃんだよ、赤ちゃんだよ、こうたくんはいい子だよ。。。」
「赤ちゃんじゃない、お兄ちゃんって言ってよ。。。」

こんなふうに。。
今はもうほんとにお兄ちゃんだろうな。。。

そう言えば、赤ちゃんの時、夜中、色々な歌を歌いながら抱っこしていた。

象さんとか、からすの子とか、
でも、おもちゃのチャチャチャでも寝てくれたのは驚いた。

こうた君チャチャチャ。。。なんて歌ってるといつの間にかすやすや寝てくれた。


私は息子に対して負い目がある。
義母に遠慮しておろすことに同意したあの時。。。


仲の良い親子(妻と義母)を引き離してしまったという気持ちでいた。
だから、妻にはいつも遠慮していた。

妻は私が私の実家に行くのを嫌がったので。。ほとんど行かなかった。
「行くのなら私が実家に帰っている時に行ってよ。」
その通りにしていた。妻の実家では
「うちの娘は何でもできる子でなんでもやらせてくださいね」なんて言っていた。




なんなんだこの人たちは、色々話しを作って。。。
今度は、慰謝料と、自分の息子を、天秤にかけるようなことさせて。。。

「宏太、ごめん、お父さんは宏太を助けるぞ」

そんな気持ちであった。やはり冷静ではなかった。

それでも、このときは、まだ妻に対しての愛情は残っていた。

だから、このあと少し判断を間違えたようだ。。。

この判断を的確にしていたらもう少し違った結果になっていたかもしれない。。。


振り返ると、戦う時は徹底しなければいけないということが教訓です。

夫婦関係は調停で、どのように戻れるのか、戻れないのかの判断が難しい。


調停の時、私は義父や義母が妻の判断に影響を与えていると考えていた。

でも、違っていた。そこが甘かったのだと思います。

この後、裁判により妻の本音と建前の使い分けが私にはハッキリしました。

だからわかるのです、これは今後触れていこうと思います。



時々、男の方が弱いなんて自分自身にいい訳をしてしまいます。

でもこれは違いますね。私が弱かったのです。

こういった時に男も女も関係ありません。

したたかに、クールにそしてうまく立ち回った人が勝ちます。

それから、ルール(法律)をよく知っている人が勝ちます。

誠実とか正直とか、事実とか真実とかを判断するのは他人です。

裁判となると裁判官がはんだんするのです。
判断する人間に事実と認識させたほうがよりいい条件を勝ち取ります。

ここが大切なんだと今は実感しています。

もし、あなたが裁判になることがあったらこの言葉を思い出してください。

きっと役に立ちますから。。。

タグ:離婚調停

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2006年05月14日

離婚調停 2回目

離婚調停の1回目の結果から家族三人で以前のように暮らすことは無理だと痛感した。

しかし2回目の調停にあたり、最終的にもう一度提案をすることにした。

私は息子にとっては父親は必要だと思っていたのです。


提案はふたつでした。

ひとつは3人で暮らすために住む場所を含め、妻から条件を出してもらえれば
どのような条件でもいいということ。

もうひとつはこのまま別居のままで暮らすということ。

このことを調停員に告げることにした。


2回目の調停は私が先であった。

この時は弁護士に同席していただいた。
待合室で弁護士と待っていると、呼び出しがきた。

室内に入り、一礼して着席する。

前回と男性の調停員が違っていた。

女性の調停員から男性の調停員が変わる事を告げられた。


女性「陳述書は読ませていただきました。大体の事情はわかりました。」

それから私の方で妻への提案を調停員に伝えた。。。。

30分くらい話してから待合室へ戻る。

今日の待合室は静かであった。

今度は妻の番である。



30分ほどしてまた呼び出しが来る。

女性「やはり、○子さんの離婚の意志は固いようです。」

私 「そうですか。。。」

男性「養育費や親権について話してあったほうがいいですよ。」

私 「。。。そういうことなら、親権は私が持ちたいと考えています。」

男性「あなたは、そう言いますがお子さんを育てられるんですか。」

私 「大丈夫です。家事や育児に関しては私は今までもやってきました。
   児童関係の資格ももってますので、その点のことは大丈夫です。」

男性「そうは言っても。。。。。。本当に大丈夫なんですか」

弁護士「彼とは色々話しました。私も普通であれば親権についてはどうか
    と思うのですが、このように本人の考えもしっかりしているので
    大丈夫だと判断しています」

男性「そうですか。。。」

このような内容であった。

女性「○子さんの意志も固いし難しいですね。。。。」



このような話しの流れで妻の順番となった。

もちろん、妻がこの話に納得するはずもなく2回目の調停は終わったのでした。


2回目の調停ではひとつだけいい事があった。

慰謝料で義父が主張している1100万円は法外な要求であるということが
はっきりしたのです。

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2006年05月12日

離婚調停 1回目が終わって

離婚調停の1回目が終わり、弁護士に報告書を送った。

1回目の調停員とのやりとり、妻の主張を聞き、私は覚悟を決めた。

もう、やり直すことは不可能であるということを。。。

妻の覚悟も分かった。

話し合いの時からわかっていたが少しだけ希望を残していたのです。

7/12 0:53  
宏太へ、メロンを送っていただき、有難うございました。
柔らかくなったら食べようね、と伝えました。

調停の前にこのようなメールをもらっていたからである。

わずかな可能性が残っていると思っていた。

しかし、それは未練だったのだと思う。

こんな時は男の方が未練が残るのだろうか。。。


私が弱かっただけなのだと思う。

相手の方が意志が明確だった。



そんなことをふまえて弁護士と次回の調停の相談を行った。

そして、次回の調停は弁護士と行くことになったのです。

離婚調停は1ヶ月に一度のペースで行われます。

不安を抱えるものにとってはこの1ヶ月の期間は長いようで短い。

資料を作成しながらいろいろ迷い考え込む1ヶ月であった。

なんで。。。こんなことになったのか。

病気になった俺がそんなに悪いのか。。。

悔しいような、かなしい気持ち、焦り、色々複雑な思いを抱えるようになった。

うつの再発だけは避けたかった。

不安定な気持ちで過ごした1ヶ月でした。

タグ:離婚調停

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