2008年02月06日

離婚裁判の証拠について

離婚裁判では証拠の提出が必要になってきます。


私はこのブログを書きながら、自分をふりかえり気づいたことがあります。自分自身の気持ちの変化です。
結婚前 結婚生活 子育て 病気 離婚調停 離婚裁判 判決離婚 養育費 それぞれの時期に自分の感情というものがあります。

そして、その中で、「なんで、こんなにがんばっているのに、わかってくれないのかな」という妻に対する思いが常にあったようです。

少し話がそれました。

ポイントは、その時々により気持ちが変化するということです。
気持ちが変化することにより、「いい」と思っていたことが「悪く」なったり、「悪い」ことが「いい」ことになったりすることってありませんか。

言い換えると「許せない」が「許せる」になったり、「すき」が「きらい」なったりした経験がありませんか。

まわりくどくてすみません。
ここは離婚裁判を行う人にとっては重要なことだと思います。
一つの事実には「いい」と「悪い」の両面があるのです。
こちらが「いいこと」と認識しても、相手はそれを「悪い」と攻撃するのです。

ですから、妥当性のある証拠、もしくは証拠になるような「感情(思い)」があれば事実をどのようにとらえてもいいのです。
ここが徹底できれば離婚裁判を有利に進めることができると思います。

私が離婚調停から離婚裁判へ進んでいく経緯には私の想いがありました。
「息子の将来を考えたときの裁判という方法でどちらに養育されたほうがいいか、公正な立場で公平に客観的に判断していただく。」
「息子がお父さんに捨てられたと思わないように、親権を主張したことを裁判という記録に残しておく。」
このような想いです。

この離婚裁判を記録としてとらえたことは間違いではないようです。

しかし、離婚裁判→裁判というものは公正な立場で公平に判断するものではないようです。

裁判官も私と同じ人間、特別な人間ではないのです。
離婚裁判は提出された証拠にもとづき、双方の主張を聴き、一定の判例にもとづき判決をだすだけです。特別な場所ではないのです。

私は現在、離婚裁判や離婚調停をこのように捉えています。

だからこそ、離婚裁判は戦いの場所と考えるのです。
戦うには戦い方、作戦があります。これは弁護士が協力してくれます。
しかし、何を勝ち取りたいかは本人が決める必要があります。

ここを曖昧にしては戦えません。まして、望む判決を導き出すことは困難でしょう。
自分の最大のパートナーである弁護士にどのような事実を告げ離婚裁判を行うかということは本人の自由なのです。

証拠と認識されるものをどのように作っていくかがポイントなのだと思います。

そう考えると、私の離婚裁判において、私は余りにもバカ正直で相手はとても賢かったと思います。

この記事へのコメント
嫁が出て行って、一年に成ります。
今年2月7日に息子が生まれました。
今会うことすら出来ません。
円満調停を申し立て、昨日家庭裁判所に行ってきましたが、嫁は代理人を立て、離婚及び
言葉の暴力を主張している様です。
私はどうすれば良いのでしょうか?
争うことが、息子の為とは、思えないし(信じられないし)子供の為に如何すればよいと、思われますか?

Posted by 安達将史 at 2012年07月04日 05:33
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。