私は子供の世話を一切しなかったと相手方から主張される。
結果としては相手方は私が子供をかわいがっていたこと、
子供の世話をしていたことを認めることになります。
離婚調停では私はもう一度家族でやり直そうと主張していました。
相手方の主張は離婚するということ、
それから、子供の親権、子供と一切会わないことでした。
いろいろな経過から仮に相手方が面接交渉権を認めたとしても、
その約束は守られないということが私には分かっていました。
離婚裁判における争点は親権でした。
私は反訴原告となるのですが、その内容はたった一つでした。
子供の親権です。
今考えるともう少し争い方があったとは思うのですが。。。。。
弁護士にもこの一点だけでいいと言っていました。
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離婚調停から離婚裁判を行うことになった時期は
うつ病がやっと治ったばかりでした。
私のうつ病は最悪の時は言葉を話すことができませんでした。
1日18時間くらい寝ていました。
とても体が重く、自由に動くこともできませんでした。
医師や家族は私の病状がこんなに早く治るとは思っていませんでした。
最悪の時期は3か月ほどでした。
最悪の時期には自殺をするとか、
自殺を考えるということはありませんでした。
自殺を考えたのは自分がうつ病と気づく1年半くらい前からでした。
妻は毎月2週間ほど家をあけ、実家に帰っていました。
結婚してからずっとでした。子供ができてからもです。
私は子どもと一緒にいたいから3〜4日で帰ってきてくれないかと、
よく頼んでいましたがそれは実現しませんでした。
それでも一緒にいるときは、
妻が楽しく過ごせるように一生懸命気遣い頑張っていました。
帰宅して妻の顔色をいつもうかがっていました。
今日は楽しそうな顔をしているかな。。。。。
そんな思いの中、自分がいない方が、
この人にはいいのではないかなどと考えるようになっていました。
今考えると、なんでこのような考えが
自分を支配していたのかはわかりません。
でも、このときはそのように考えていたのです。
私は自分は強い人間だと思い、生きてきましたが、
なぜかこの時期はこのようなことを考えていたのです。
そして、おそらく、私はこの時期から
うつ病になっていたのだと思います。
今考えるとその兆候がありました。
ぐっすり睡眠がとれたときでも疲れていました。
それでも、休みの日は息子と二人で過ごしていました。
息子と過ごすことが何よりも安息の場でした。
息子が母乳でなくなった時から、
私の休みの日は妻の休息日でした。
休みの日は息子と二人で過ごしていました。
日帰り温泉の男湯でおむつを替えていると、
いつも周りの人から声をかけてもらいました。
とても、楽しい思い出です。
離婚裁判では私のうつ病を利用して相手方は責めてきました。
私は病気を相手方のせいにするようなことはしませんでした。
甘かったのかもしれません。
うつ病と気づく前に私は死ななくていけないと考えていました。
息子への手紙をかき、朝早く出かけようとすると
息子が起きてきて、泣きながら、
「おとうちゃん会社いかないでいい」と言います。
それでも出かけました。
人気のない山に入り、自分の首をひもで絞めてみます。
息子の声をもう一度聞いてからと思い、携帯の動画を見ていました。
ダムから飛び降りようとしました。
飛び降りることができませんでした。
もう一度、息子の顔を見ようと家へ帰ったのです。
一年以上考えて生命保険は3500万円掛けていました。
でも、決心がにぶったのです。
息子に救われた命だと思っています。
この後、精神科に治療に行くようになりました。
そして、8か月治療を受けて、社会復帰をすると、
この離婚調停から離婚裁判への道がはじまります。
治療を受けているときは休職手当というものをもらっていました。
世の中よくできたもので働けなくても
1年くらいは生活費には困らないようになっています。
こんなことも少し学びました。
いろいろなことがありましたが
今は生きていることに感謝しています。
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